観光開発区
天地広場
天地広場は煙台経済技術開発区の中心部に位置し、長江路の北側、珠江路の南側に位置し、敷地面積24万平方メートルで、1994年から建設し始めて、1998年竣工し開放された。広場は緑色を基調にして、自然の植物主体を強調し、彫塑と短い出し物などの人口景物で飾り付けをする。中軸線により広場を南北と言う二つの観賞群を分かれて、天地広場の含意を現す。北は「天」の意義を持つ「太陽」広場で、中心部から外へ放射する形の道路を採用し、日光の形と似ている。南は「地」の意義を持つ「大地」広場で、中心部にて企画した環状の道路を造ってあり、大地の形と似ている。
広場の中で中国煙台経済技術開発区のラベルを立て、碑の高さが33メートルで、三角形の立体形である。ピークの所には高さ5メートルの円形のステンレス製の開発区バッジを放置し、模様が大文字の「C」の真ん中に「YTETDZ」の字形を象眼してあり、即ち「中国煙台経済技術開発区」の英語略語であり、開放の珠がきらきらとまたたく、太陽と輝きを争うと言う意義がある。碑体の回りには六つの帆船が順風満帆、八つの泉が逆巻いて、急流に逆らって進む、隆盛で発達になる意味がある。植物は主として芝生、林の茂み、花壇、花と木であり、その中に各色の飾りぢょうちんで飾り付けをして、きらびやかで美しさを添えた。休憩時間にて、この緑色の植物海洋に起伏し、幸せな生活の無限な楽しみを心ゆくまで享受できる。
天街広場
天街広場は煙台経済技術開発区の金砂浜海辺公園の正門の所に位置し、円形階段建築物である。北側の最高点に帆船群像がそびえ立っていて、青海原青空の中で生気あふれるばかりを見せつけて、開発区が改革開放の大潮の中で追い風に乗り、波をけって進む、順風満帆の意味を象徴している;夜になると、ここが火ともしごろ、きらびやかに光り輝いて、帆船の全身が発光し、高まって向上し、輝かし前景と時代の精神を寓している。広場全体には噴水が吹きかけて、青草が青々と垂らして、花が赤く咲き、柳が緑に萌え、鳥がさえずみ ウグイスがなく、身を天上の町に置くように感じさせて、大変不思議で無比である。
科技名人彫塑園
科技名人彫塑園は煙台経済技術開発区の西南部に位置し、北側が珠江路と隣接し、南側が金沙江路と接続している。敷地面積57000平方メートルである科技名人彫塑園は1994年から観光客に開放された。年代の順と科技領域に従ってそれぞれわが国後漢時代の天文学家張衡、南北朝時代の数学家祖沖之、農学家買思勰、元の時代の紡績専門家黄道婆、明の時代の薬学家李時珍、農学家徐光岩及びポーランドの天文学家コペルニクス、イギリスの進化論者ダーウィン、物理学家ニュートン、アメリカの発明家エジソン、物理学家アインシュタイン、ポーランドの物理学家キュリー夫婦など人類社会にすぐれた貢献をした13名の科学者の大型レリーフを立てている。
園内には小道が曲がりくねって、丘陵が起伏していて、青い草がしとねのようで、冠のような木がいっぱいで、漫歩すると、身を智慧の殿堂に置くように感じさせ、科学の輝きを味わっている。園の北側には14000平方メートル以上の人口湖を設けてあり、青い波が流れ、魚が自由に泳いで、休憩の時魚を釣ることに適宜である。園の東側には面積3288平方メートルの中国煙台国際交流センターがあり、ぐるぐる回って上昇式の園柱仕組みを呈して、造型が独特で、飾りも精美である。イギリス製の6種類言語の同時通訳システムを配置し、約500人の学術交流及び専門会議を開催される;センターと隣接している科技園大飯店は船の形にして、外部が壮観で、内部の飾りがみやびやかであり、娯楽休憩のあまり、ここで山海の珍味の味をみてもらえる。
「絵と文字」秦の始皇帝の東巡宮
秦の始皇帝の東巡宮
煙台経済技術開発区の東北部に位置し、西側が金砂浜海辺公園と隣接し、1992年4月18日から完成し対外開放された。外部が秦と漢の時代の建築風格を模倣し、雄大で壮観で、古風で質朴でみやびやかである。内部には「軍隊を統率し東へ巡視する」、「琅琊台で天を祭る」、「祈祷師が丹薬を作る」、「三島を眺める」、「蜃気楼」、「芝罘から東へ渡る」、「海上で遭難する」、「桃がオウトウと共に鮮やかになる」、「始皇帝の夢」、「水族迎賓」、「九宮招宴」、「九曲昇天」、「仙女が露を散らす」、「千秋の功罪」など20箇所のシーンを設けてあり、近代の機械、音と光、電子などの表現手法を採用し、歴史性、興趣性、科技性を一体となり、迫力が雄壮で、まぼろしの縹渺で、ロマンチック的で、人を興奮させて、当年秦の始皇帝が東へ巡視し神様を探すと言う伝奇の物語を再現した。
一、 観光範囲:
煙台金砂浜観光休暇区は国家の第一回目のAAA級観光区であり、1993年10月26日で山東省人民政府の批准を受けて設立した省の中で第一番目の省級観光休暇区である。東西の長さが約10キロで、南北の幅が約1600メートル(水域、砂浜、林地などを含める)で、総面積1553万平方メートルである。その中、砂浜面積が73.7面平方メートルで、水域面積が1000万平方メートルで、緑地面積が約477.3万平方メートル(防風林面積含める)で、建築面積が2万平方メートル以上である。
二、観光資源:
煙台金砂浜観光休暇区は自然の景観を主として、人文の景観を補助する総合的な観光地である。観光地を名目にする煙台経済技術開発区が2000年9月にて国家のISO14001環境管理体系認証を受けて、全国の第五軒、山東省の第一軒の基準に達する区域である。
観光地の最も特色があるのが万メートルの黄金砂浜であり、平素から「中国北方第一の砂浜」と言う名声が皆に知られている。砂浜の長さが10000万メートルで、幅が60~180メートルで、砂礫が柔らかくて細かい、色合いが黄金色で、面積が広くて、勾配がゆるやかで、日光浴と砂浜バレーボールを行う大変よい所である。砂浜の北側の海水が澄みきっていて穏やかで、青色で清浄である。春になると風穏やかで日うらら、景色が美しい;夏の頃、風はなぎ、波も静かで、海水が錦みたいである;夏の末頃、波がうねって、波のしぶきが飛び散る;冬になると、怒濤のようにごうごうと流れ、大海の壮大な景色を呈していた。ここの夏の昼の水温が約25℃で、わが国最も優良な天然海水浴場の一つである。2002年から三年間連続で国家海洋局から国家の重点海水浴場に取り上げて、国家の健康型海水浴場観測ネットワークに納められて、海水の各項観測指標が全て国家の一類基準に達した。
砂浜の南側の防風林帯の長さが10000メートルで、幅が300メートルで、面積が3万平方メートルで、木の年齢が全て20年間以上になっていた。春の暖かい頃花が咲いた時期において、千花が咲きそろい、エンジュの香りが漂って、空気を浄化し、騒音を低減するだけではなく、観光客が林の中での漫歩と休憩に供することもできる。冬になると防風防砂の効果もある。
観光地は砂浜、海辺、林帯の品位を重んじて、渾然として一体をなしている自然の特色を保護する。開発中で全体企画の要求に従い、ヨーロッパ式の風格を突破した上で、自然を近代と結び付けることを強調する;環境が第一の基本原則をしっかり守って、金沙、青海原、砂浜と言う基調及び陽光、海水、砂浜の国際流行主題を表現した。主要な観光地は万メートルの金砂浜、雄大かつ壮大で、古風で質朴かつみやびやかである秦漢時代を模倣する建築――秦の始皇帝の東巡宮、天街広場、休憩広場、音楽広場、科学の普及運動広場などがある。
三、主要な観光地:
(1)万メートルの金砂浜
公園の北側に位置し、西の柳林川から東の挟河口まで全長10キロ以上である。海岸線に沿ってうねうねと続く。だらだら坂と綺麗な水、柔らかくて細い砂があり、夏季の昼頃の水温が25℃ぐらいで、わが国の最も優良な天然海水浴場の一つであり、平素から「中国北方第一の砂浜」と言う名声が皆に知られている。浴場の付帯施設とする博洋観光サービスセンターは客様に特色のサービスを提供できる。ここの春が風穏やかで日うらら、景色が美しい;夏の頃、風はなぎ、波も静かで、海水が錦みたいである;夏の末頃、波がうねって、波のしぶきが飛び散る;冬になると、怒濤のようにごうごうと流れ、大海の壮大な景色を呈していた。四季の彩りが鮮やかである美しい図画を構成した。海辺一線に沿って展開した一つ一つの彫塑は神様が創ったもののようで、些細な海の神韻と海の熱情を増やした。
(2)天外広場
金砂浜海辺公園の正門の所で、円形階段の建築がある。北方の最高点に帆船群像がそびえ立っていて、青海原青空の中で生気あふれるばかりを見せつけて、開発区が改革開放の大潮の中で追い風に乗り、波をけって進む、順風満帆の意味を象徴している;音楽灯光噴水の敷地面積が600平方メートルで、11種の水型と各色の灯光が音楽のリズムに従って組み合わせて変換し、音楽と噴水が調和的かつ統一の一体になる。夜になると、ここが火ともしごろ、きらびやかに光り
輝いて、帆船の全身が発光し、高まって向上し、輝かし前景と時代の精神を寓している。広場全体には噴水が吹きかけて、青草が青々と垂らして、花が赤く咲き、柳が緑に萌え、鳥がさえずみ、ウグイスがなく、身を天上の町に置くように感じさせて、大変不思議で無比である。
(3)休憩広場
西の香山路から東の泰山路まで、敷地面積35000平方メートル、北側が海と隣接し、南側が緑色と繋がって、芝生を主調として、格式の灯光の組合せを引き立てる景色にして、沈下式の広場も一緒になり、玉石の健康小路、積み重ねて噴水を作る池、徒歩で渡る池、音楽噴水などのものは夏季納涼の特色と四季休憩の基調を強調し、ほんとうにいい気持ちになり、情趣が無限になる。
(4)音楽広場
西の嵩山路から東の香山路まで長さ500メートル、幅40メートル、総敷地面積が16450平方メートルに達し、メイン広場(音楽広場)の敷地面積2500平方メートルになる。中には舞台、客席を設けてあり、引っ張り膜と音楽の主題を強調し、観光客に大型な娯楽、集会、体育鍛錬、ひさし、休憩を一体にする美しいシーンを造り上げる。メイン広場の周りが風雨回廊、造型石、発光電灯柱(夜になると七色を現す)、帰巣彫塑(石彫り)、大樹歩道などを設けてあり、広場の情趣が豊かにしただけではなく、観光客のためより秘密な小型集会場所を営造しあげた。
(5)科学普及運動広場
金砂浜海辺公園の西部には敷地面積30000平方メートル、投資1400万元以上の、華山路を境界線にした二つの主題区も作った。華山路の東側が体育鍛錬区で、西側が科学普及娯楽区である。東区には自己挑戦に応じる流行の運動項目――ロッククライミング及び児童興趣が溢れる児童遊楽園、水車、童話彫塑、シーソー、児童画板、水幕映画など独特の風格を持っている遊楽施設を設けてあり、十分楽しみができて、休暇と娯楽の特徴を体現させる。西区の科学普及娯楽区は広場と建築物の位置を通して科学知識を人々の目の前に直観に現れる。例えば興趣音広場が海風と海浪など大自然の音を吸収してから直ちに発音するラッパ;海眺広場の中の景色眺台;人類の文明を象徴するコロナ及び光を伝導できる光ファイブ材料で作ったガラス路面;水景池などがあり、観光客がこの中に身を置くと、海が持ってきた快感を心ゆくまで享受するだけではなく、中国の悠久の明るく輝かしい古老文化も感じられる。
「絵と文字」張裕カスター酒山荘
張裕カスター酒山荘
煙台張裕カスター酒山荘は中国ブドウ酒酒商業のボス張裕会社がフランスのブドウ酒酒商業のボスカスター会社と合弁で作った会社で、煙台から蓬莱までの黄金観光線に位置している。酒山荘の敷地面積は2100ムー(土地面積の単位.中国の1ムーは6.667アール、15分の1ヘクタールと相当する)で、その中、酒を醸造する葡萄園が500ムーで、主体建築物が50ムーで、葡萄回廊と道路が20ムーである。煙台張裕カスター酒山荘は観光、休暇を一体にして、煙台市のもう一つの観光地になった;同時に張裕高級ブドウ酒の醸造基地にもなった;それから国外の優良な葡萄新品種を導入し選択して育成し、関連の栽培技術を研究する重要な場所である。
国際葡萄?ブドウ酒組織の名誉主席Robert?Dinlotte先生は当該酒山荘が非常に綺麗で専門的であると称賛した。酒山荘の建築風格はヨーロッパ式の園林風格である。葡萄園に植えた葡萄は全て世界中で有名な品種である。主として蛇竜珠、赤霞珠、梅鹿辄、霞多麗、貴人香などの優良かつ無毒の葡萄新品種がある。
葡萄酒山荘と言う言葉はボルドーから源を発して、フランス語では砦の意味である。一つの陸地単位、葡萄園、酒室、ブドウ酒及び他の関連建築物を指している。数百年間の発展を経て、現在、大部分の国外ブドウ酒山荘が観光功能を持つ山荘まで発展してきた。今の世界中で一番高級な赤、白ブドウ酒がみんな酒山荘から来たものである。
磁山自然観光地
(一)基本状況
磁山は昔、牟山と呼ばれた。芝罘島と姉妹山になっている。敷地面積約27.6平方キロで、海抜528.9メートルである。磁山には南峰(虎頭峰とも呼ばれる)、中峰(蟠桃峰とも呼ばれる)、北峰(石榴峰とも呼ばれる)と言う三つの峰がある。中峰が一番高い。磁山の三峰がそれぞれ特色があり、南峰の人文資源がより豊富で、中峰の自然風光が最もあか抜けていて、北峰がくねくねと続いて平坦な連峰が多い。三峰の植生はアカマツ、クロマツ、クヌギ、ニセアカシア、ポプラが多数を占めている。南峰の植生が殆ど類似している。南峰が上世紀の半ば頃、二列の数人がひと抱えのイチョウがあり、木の日陰が天地を覆った。上世紀の半ば頃伐採されたという噂がある。北峰にはクロマツとアカマツが多い。
(二)観光地の大体の様子
南峰の山麓は高篩古路の隣に位置し、右側には景色観賞台が高い坂の頂上に位置し、一日中陽光が暖かい、南磁山の一つのバルコニーみたい、高楼を作れる;山間には石路があり、隣が瓦ぶきの家屋もあり、それから井戸もあり、井戸の水がおいしくて冷たい。真正面からの「あずまや頂」に沿う小路であずまや頂まで行って、その左側が昔の「ハスの花の湾」であり、頂上には昔の東屋の敷地がある。続いて上へ行くと、左側には山の石があり、右側には谷川があり、谷川の北側の懸崖の上で廟宇があったが、既に壊され、敷地の石がまだ残っている。北へ曲がると、西南の方向を仰ぎ見ると峠があり、俗に「南天門」と呼ばれて、民間の物語と関係する。西を仰ぎ見ると、高さ数丈(10尺.約3.3メートルに当たる)の懸崖があり、雨が降ると懸崖の滝になる。清の時代福山(以前、芝罘も福山の管轄区内に位置した)と呼ばれ、八景の一つの「磁山滝」である。滝の側でいつも虹ができて、滝の下には磁山洞窟があり、百人ぐらい納める。洞窟の左側の石の壁には仏龕があり、昔、西王母を祭るものである。仏龕の下には井戸があり、水が絶えず流れている。北を仰ぎ見ると数丈の石の壁があり、西側の懸崖と北側の壁の間に岩の裂け目があり、俗に「一線天」と呼ばれる。石の壁に沿って北へ曲がると「通仙洞窟」がある。かつてここから北海に通じると伝えられている。継続に北へ行くと、アカマツを密生し、山道が険しくなり、石もだんだん奇異になる。大型のマンネンタケの形にするのが多い。山頂までつくと坂がゆるやかになるが、不思議な岩が重なり合い。山頂から南を眺めると、捻軍(清末に安徽省北部と河南省一帯の農民が蜂起してつくった反乱軍)が造った防御用の砦がある;西へ見下ろすと、石の壁の間には群虎が跳躍するようである;北を見下ろすと、谷と林の木がこんもりと茂り立っている。東へ見下ろすと、五竜山、小磁山、鳳凰頂、哄君頂、羅山坂などの自然風景を一望に収めることができる。磁山のふもとの西王母池が深く広い、人が思いをはせる。ふもとには「磁山泉」があり、泉が石の井から巡って、深さ半メートル未満で、一年中溢れていて、続々と現れて絶え間がない。南磁山にはまだ一つの谷があり、「星石旺」と呼ばれ、谷の中には数百トンの隕石が一つあり、当地の住民たちがそれを「星石」と呼ばれて、地面上の部分が6平方メートルで、清の時代の前期で落下したものだと伝われている。
中峰の道中、連峰が道を挟んで、緑樹が盛りと咲いていて、地形が険しい。中峰には左右二つの谷があり、左谷は峰の両側がぐるりと取り囲む形にしていて、真ん中の小気候が良好で、山間のひと筋の泉がさらさらと流れていて、側にも井戸があり、下にはダムもあり、南向きの山坂には冬になっても青々と茂る緑竹を見える。竹の中が詰まっていて、胸までの高さである。右の谷は谷の底に沿って登ると、途中で木の枝がジグザグに入り組んでいて、葉っぱが軽やかに舞い始める、景色が非常に美しく、黄山のようである。峰に向けて立つと、中峰の左側の峠が西遊記の人物みたいで、躍如として真に迫っている;中峰の右峠は伝説中の「石老公」と「石老母」のように、かすかに見える。光線が適当であれば、中峰、北峰の間できちんとして威厳のあるやさしい観音様が親切で人間見守る様子をぼうっと見える。
中峰の頂上の地勢が平らで、烽火土台があり「磁山土台」と呼ばれていて、明の時代の倭寇抵抗の遺跡であり、史料の記載がある。
北峰の道中で、相対的に広くて、道の傍で山の住まいを建築され、ふもとに沿って南へ行くと、だんだん平坦になり、真正面から仰ぎ見ると、峰が険しくて高く立てて、ラクダのこぶみたいに巍然とそびえ立っている。中途まで峠の両側には珍しい松と不思議な石があり、北の峠を見ると、うねうねと続いて、すばらしい勢いである。まもなく頂上につく際に、大きい石が道を遮って、越えなくて、石の西側が下の谷をちょうど見下ろして、東側が休憩に適宜し、南を仰ぎ見ると、磁山の仰ぎ見る的な気概が真正面から顔に当たって、粛然としてえりを正す。
(三)人文の資源
磁山の人文資源は主として磁山廟(昔、冥界主人祠と千仏寺の名称があった)であり、上世紀の半ば頃壊された。秦の始皇帝が三回の東巡視において、毎回もこれを賞賛して、冥界主人祠を授けて、芝罘島にて現世主人祠を作ったと伝われている。漢の時代の書籍には漢武帝がここで三つの山を祭ったと記載していた。元の時代になると千仏寺を建築し、現存の千仏寺の敷地が磁山洞窟の前にあり、あずまやの頂をあずまや頂に保存し、民国時期の封山碑を南磁山の谷川(オウトウ洞窟にあるかもしれない)に保存している。
南磁山の頂上には「囲い」があり、清の時代の防御工事の遺跡である。
南磁山のふもとに数軒の僧の宿舎の敷地があり、昔の飲用水の井戸(清の末期の以前のもの)を残してある;道路の東側に磁山泉があり、清の中期前後の「磁山泉」と言う文字を彫ってあるレンガ作り横額がある。
南磁山の山腹の懸崖の下には、寺院が遺留した円形の石台とひき臼の台がある。その中、円形の石台の上には足跡の形でへこんでいる跡があり、民間の物語と関係がある。磁山廟には重さ数千斤(1“斤”は500グラム)の銅の仏像があり、解放する前、土匪を避けるために、磁山にある洞窟に密封されたと伝わられている。南磁山の山腹の通仙洞窟には密封石の跡があり、この物語と関係があるみたいである。
磁山滝について、「福山県誌」には清の時代の謝乃実(1652~1715年、1688年の進士(科挙の試験に最終的に合格した人の称)で、江南睢寧県知事を授けられ、清廉で庶民のことをいつも考える官吏であると「四庫全書」に記載している。詩「福山八景」。その中「磁山煙雲」の詩には「万仞が険しくて高い空へ挿す、山腹の滝が仙の宮を隠す。岩の前水すだれで霧が出て、洞窟の中寒々とした白い風。泉と明月の傍僧侶が磬をたたく、雨の晩石壁には虹が出る。秋たけなわの煙樹の中で帰る道を探す、谷川がさらさらと流れて林の茂みを通る。」と書いた。
煙台徳勝科学技術展覧館
煙台徳勝科学技術展覧館は開発区の徳勝商業城の五階に位置し、2002年4月28日から正式に会館した。徳勝商業城の七階と八階にはそれぞれ徳勝天象庁と徳勝天文台を設けてあり、2002年8月28日で対外開放された。徳勝科技館、徳勝天象庁、徳勝天文台は中国の第一社目の民営企業が三つの館を一つにする科技博覧センターであり、市の教育委員会と市の科技協会から科学思想を宣伝し、科学精神を発揚し、科学知識を広めて、科学技術を普及させて、科学実践を行う「科学普及教育基地」として批准された。
館内は「人類、探求、創造」を主題として、華夏(中国の古称)数千年間の各学科領域での数百件の展示品を並んであり、古代の昔の地震計、距離数記録の鼓車から近代のロボット、物理デモンストレーション機器までなどの物を設置し、日常生活中で発生した一部の奇異な現象の科学道理を解釈し、観衆たちがわかりやすく内に科学文化知識を理解し、科技の魅力について身をもって体験し、科学に対する理解を深めて、科学の力を感じて悟る。
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